教育実践の記
小学校における国語科の授業や学級づくりの記録等
足立 馨
それは高校2年の時であった。その頃の私は、バレーボールに夢中になっていて、いつも放課後2時間以上は、体育館でボールを追っかけたり、打ったりしていた。家に帰るのも遅くなりがちだった。帰った時には、体がぐったりとなっていて、なかなか集中して学習に取り組むことができなかった。いつのまにか、机に向かったまま、うとうとしていたり、コタツの中に入ったまま寝ていた、ということが多かった。その上、テレビ映画とラジオの深夜放送にとりつかれていて、いつもきまった時間こつこつと学習する生徒ではなかった。そのため、いつも成績は低空飛行を続けていた。
ところが、ある実力テストで、「やま」があたり、比較的よい成績を残すことができた。そんな折、担任の先生に呼び出されて、次のようなことを言われた。
お前、今度のテスト、ようがんばったのう。運動部に入ってきつい思いをしよんのに、お前はよう努力しよる。これからなあ、「スポーツと勉強は両立できるんや。」という証拠をお前が見せてくれんか。後輩に手本を見せてくれんか。お前ならできると信じるけん。
思わぬ温かい励ましの言葉をもらって感激した。それから、私は、「やってやろう。」と意気込んでバレーも学習も、以前よりは集中して取り組むようになった。成績は上がったり下がったりだったが、以前よりは多少よくなった。その先生の励ましの言葉がやる気を起こさせてくれた。「お前ならできる。」という言葉が心に響いた。
心理学者ローゼンタールの実験に次のようなのがある。教師が5人に1人の割合で任意に生徒を選び、その子たちに「成績が向上する」と宣言し、教師自身も極力それを信じ込むようにした。すると、しばらくして本当にその子どもたちの学力が上がったということである。一種の暗示かもしれないが、子どもの成長を信じることが何らかの力になっていくのであろう。
「この子どもは伸びる」と信じて、一人一人の子どもと接していきたい。