教育実践の記
小学校における国語科の授業や学級づくりの記録等
足立 馨
ある日、帰宅途中の車の中で、次のようなことを思った。
人が感じる「喜び」には、2種類あるのではないか。それは、「受け取る喜び」と「つかみ取る喜び」である。
何となくひらめいたことであったが、帰宅して自分なりに整理してみた。
「受け取る喜びとは、他人から自分に、と与えられる喜びである。『人からプレゼントをもらった。』『家の人に遊園地に連れて行ってもらった。』といった時に感じる喜びである。他人から何かをしてもらうとか運良くいいことがあった、といった類のものである。
これに対して、つかみ取る喜びとは、自らが積極的に求めた結果得る喜びである。『一生懸命勉強して試験に合格する。』『練習したら、25m泳げるようになった。』『係りや役員の仕事にがんばったら、みんなから信頼されるようになった。』といった時に感じる喜びである。」
2種類の喜びを対比してみた。
(受け取る喜び) ⇔ (つかみ取る喜び)
・心に長く残らない ・心に長く残る
・努力を要しない ・努力を要する
・精神的な成長に ・精神的な成長に
関係しない 影響する
・求めないでも得る ・求めないと得ることが
ことができる できない
かなり、独断と偏見に満ちた対比かもしれないが、私の体験から考えたものである。
どちらの喜びも生きていく上で不可欠である。しかし、どうもこのところ子どもたちは、受け取る喜びに慣れて、つかみ取る喜びをあまり味わっていないのでは、と感じる。
「あくせくと体や頭を動かして、何かをやりとげた喜び」は生きる気力を育てる。
もっともっと「つかみ取る喜び」を体験させたい。「受け取る喜び」に慣れすぎると、自己中心的になって、面倒なことを避けてしまう傾向になる気がする。